瀑岐の

滝巡りを始めるまでのいきさつ

〜長いけど結構おもしろいと思うよ(^_^;)〜



岐阜県は大きく分けて、美濃地方と飛騨地方があります。私は美濃地方で平凡に育ってきた子供でした。そんな私が高校を卒業して進学したのは名古屋大学。理系に進んだこともあって、大学2年次からは大学の近くで下宿生活を始めました。初めての一人暮らしで自由な時間がたくさんあり、今まで考えもしなかったことをいろいろ考えました。そして、名古屋という大変便利な大都市にいながら、何か満たされないものを感じていました。



大学2年の終りごろ、同大学の下宿友達と夜のドライブに出かけました。行先は決めず、単にしゃべりながら北に向かって走っていただけでした。気がつくと、木曽川を越え岐阜県に入っており、結局そのまま飛騨地方の高山市まで来てしまいました。高山駅で始発を見て帰ることにしました。そんな意味もない、くだらないドライブの帰りは郡上八幡を経由し、そこからは長良川沿いの国道を走りました。

途中、美濃市に入ったところでコンビニに入り、朝食代わりの弁当を買いました。朝の空気を吸いながら食べたかった私は、目の前を流れる長良川の岸に腰を下ろしました。そこで目にした川の様子は、単に車窓から眺めていただけでは知ることのできない素晴らしいものでした。巨岩や奇岩、それにぶつかって砕け散る水しぶき、様々な要素が絡み合う独特の景観を持っていたのです。私はその光景に心底感動し、再びそこを訪れようと心に誓ったのでした。



それから少しして大学は春休みになり、私は車以外の方法でこの場所を再訪しようと計画しました。長良川沿いには長良川鉄道というローカル線が走っており、それを利用しようというわけです。実は、この旅を計画するまでは長良川鉄道というものの存在すら知らなかったので、私は岐阜で育ちながら岐阜のことなどほとんど知らなかったんだなあと、悲しくも実感させられました。

いざ旅行を計画を立てようと、長良川鉄道についての詳しい情報を求めて本屋の郷土コーナーを見ていた私は、そこで実に運命的な出会いをします。それは、岐阜県が出版する「ぎふの名瀑名峡」という本でした。この本は、県内各地から推薦されたものの中から滝100、渓谷50を選定してまとめたものだったのですが、そのときは「こんな本があるのか〜」と思ったぐらいでした。でもちょっと気になる本ではありました。

やがて旅行の日がやってきました。朝の5時、名古屋鉄道の始発に乗って美濃市に向かい、そこから長良川鉄道に乗って長良川沿いを探訪しました。線路も歩いて足が棒のようになりました。長良川の景色を何枚も写真に撮りました。そして、岐阜市に戻ってきたのは午後9時頃。丸一日、長良川と線路と鉄道を満喫した旅でした。何より、自分で初めて計画して実行した旅はとても充実したものなのだと分かりました。



その旅のあと、私はすぐに別の旅の計画を立てたくなりました。家でぼーっとテレビを見たりしているのがとてもイヤでした。しかし、どこに行きたいのかと考えてみても何一つ思いつきません。岐阜のどこでもいいから、自分で自発的に行きたいと思えるような場所に行ってみたい。そんな、まるで答のないパズルを解こうとしているような状態がしばらく続き、ストレスの溜まる日々が過ぎていきました。

そんなとき、ふと思い出したのが本屋で見た「ぎふの名瀑名峡」でした。思い出した瞬間の私は、実に目がきらめいていたことでしょう(笑)。まさにずっと悩んでいたパズルの答を思いついたときのようでした。あの本なら、長良川で見つけたような自分の行きたい場所が見つかるに違いない。そう考えた私は、ゴールを確認したかのごとく本屋に走り、何のためらいもなく「ぎふの名瀑名峡」を購入したのでした。



本には、100の滝それぞれに1ページが割り当てられており、そこには滝の写真と簡単な説明・交通案内と簡単な地図・難易度が掲載されているのものでした。私はとりあえず、滝の写真だけを見て気に入ったものをピックアップしていきました。そして選ばれた滝を見ていくと、岐阜県の小坂町という町にある滝がやたらと多いことが分かりました。それもそのはず、本の紹介されている100の滝のうち、20滝は小坂町にある滝だったのです。しかも、魅力的な滝が多いこと多いこと。

私は迷わず、この小坂町の滝にターゲットを絞りました。そして、実際にどの滝に行くかという段階で参考にしたのが、本に掲載されていた難易度です。難易度は三段階で、
 1 … 到達路が険しく危険性が伴い、装備経験が必要なもの
 2 … 比較的危険性は少ないが、高度差・距離があり、体力を要するもの
 3 … 比較容易に到達できる初心者・家族向きのもの
というものでした。1は、初めてみた人からすれば「じゃあ紹介するなよ」といわれそうな難易度ですが、実際に難易度1とされている滝の案内を見てみると、「沢登り○分」と書いてあるのがやたら多いことに気づきました。いろいろ見てみた結果、「難易度1の滝」≒「沢登りができれば行ける滝」ということが判明。そして、本に載っている小坂町の20滝のうち、9滝に難易度1がつけられていたので、やがては未体験の手法である沢登りをして行くことになるのかなあとワクワクするのでした。



とりあえず、最初は沢登りが不要な滝に行くことにしました。目標は小坂町「根尾の滝」(難易度2)。小坂町の巖立峡から林道を走って根尾の滝駐車場へ。途中「あかがねとよの滝」「からたに滝」(難易度1)もあったので見ておきました。駐車場からは、まず谷底に下りるまでで15分、そこで吊り橋を渡り、谷沿いの遊歩道で30分歩くと根尾の滝にたどり着きます。遊歩道はアップダウンが激しく、結構息が上がりましたが、それでも気持ちいいものでした。現れた滝は63mの豪快な直瀑。遊歩道はあるものの、滝周辺には人工的なものがまったく見あたらず、いかにも「秘境の滝」といった風格を持っていました。感動したことはいうまでもありません。何せ、まともに(しかも50m級の)滝など見たことなどなかったですし、これまた自分の意志でやってきたということで、感動も一層大きいものだったでしょう。

根尾の滝には30分ほど滞在しました。とりあえず、難易度2というものが一例とはいえ把握できたことに大変満足しました。すると、次はやはり難易度1で必要とされる沢登りというものに好奇心がかきたてられていくもの。遊歩道は谷沿いだったので、行き詰まったら遊歩道に登ればいいだろう、ゴールは吊り橋があるから分かるだろう、という安易な考えで、私は沢歩きで谷を戻ってみようと考えました(つまり沢下り)。そして、帰りも何ということのない普通の格好(装備)で谷の中を戻ることにしたのです。

試しにやってみた沢歩きはとても楽しいものでした。川の先の様子を見ながら自分でルートを決めていく、道の決められた遊歩道を歩くのでは味わえないおもしろさがあります。対岸に渡るにも、うまく岩が連続しているところを見つけてそれらを飛んでいったり。ところが、予想に反して谷は遊歩道へ登れるほど緩やかなものではありませんでした。また、10mほどの滝があって、そこを下りるのにも大変苦労しました。遊歩道に復活できない以上、元来た道を戻りたくないなら滝でも下りていかなければなりません。そういう場面では、人工の道でないだけに安全確保はすべて自分で行わなければならないという厳しい一面もありました。もちろんケガをしても自己責任です。

谷(川)というのは自然が作り上げた自然の道。川を遡っていけばやがて山頂に登りつめ、川を下っていけばやがて海にたどり着く。沢登りというのはそういう自然の道を利用している意味で、もっとも自然な登山スタイルといわれます。しかも、人の手で整備されたものが何一つないだけに、一般人はまずやらない。つまり、

「沢登りが必要な滝」=「人がほとんど訪れない秘境の滝」

という、私にとっては一石二鳥のような等式が思い浮かびました。素晴らしい滝に訪れても、他にも観光客がうじゃうじゃいるようだと半分興ざめしてしまうでしょう。その滝を一人占めしたいというのが本心です。ひょっとしたら、都会に下宿していた私は他の人間のいない空間を求めていたのかも知れません。

話を戻します。結局、沢下りで吊り橋に戻るのには1時間近くかかってしまいました。しかし、沢歩きに多大な魅力を感じてしまった私は、次に目指す滝はさっそく沢登りを必要とするものにしよう、と心に決めてしまうのでした。そして、次に選んだターゲットこそ、私が今まで訪れた滝の中で、最も到達困難かつ最も感動した滝「回廊の滝」だったのです。そう、そのときから二年以上経った今でも、その「回廊の滝」より感動できる滝には出会っていないのです。



私が「回廊の滝」を選んだ理由は、「ぎふの名瀑名峡」に「沢歩き20分」と紹介されていたからです。20分ぐらいならたかが知れてると誰しも思うでしょう。しかもこちらは沢歩き初心者ですから、ちょうどいい時間です。さらに写真で見る限り、回廊の滝は私が小坂町の中で最も美しいと思った滝だったのです。これは行かなければならんというわけで、さっそく大学三年の夏休みにチャレンジすることにしました。

そのとき相棒に選んだ友人は、違う大学に進学した同期でした。運動神経は私より上だと思いますし、何より水泳部にいたので水には強いだろうと、迷わず彼にコンタクトをとりました。彼の後日談によると、私からの電話でこのように誘われたそうです「自然に触れながら、誰もが見れないような滝を見に行こう」。暇だったから軽い気持ちでOKしたそうですが、後にそれが間違いだったと話していました(^_^;)。そう、回廊の滝とは、とても沢歩き20分で行ける滝なんかではなかったのです。



沢登りをするときに参考になるのが、国土地理院発行の地形図です。「ぎふの名瀑名峡」に載っている地図は非常に簡単に描かれており、ときには間違っていることもあります。本で滝の所在を確認したら、位置は地形図で把握するのがベストです。回廊の滝への準備として、私は初めて地形図を購入しました。「ぎふの名瀑名峡」には滝が落ちている谷の名前が載っていたので、その谷が掲載されている地形図を選びました。そして夏休みになり、私は友人とともに再び小坂町へとやってきたのです。

目的の谷は、根尾の滝駐車場に向かう林道の途中から分かれている、別の林道沿いにありました。地形図を参考に実際に谷の位置を把握します。そして谷を横に見ながらひたすら歩いた林道は、しばらくすると終点となりました。そこで谷におり、そこからは谷通しの沢登りで進むことになります。「ここから20分で回廊の滝か」と、もう半分到達したような気分で沢登りを始めたのですが、そう甘くはありませんでした。谷はいきなり狭まり、両岸は切り立った壁のようにそそり立っていたのです。そして沢登りを始めて20分はとっくに過ぎたころ、目の前に滝が現れました。それは、残念ながら回廊の滝ではありませんでした。

現れたのは、谷の中央に巨大な岩がはさまった滝で、水は岩の両側から流れ落ちている形状をしていました。このような形状の滝を、沢登りではチェックストン滝と呼びます。そのときのわれわれの装備・実力では、そこまでが限界でした。とても先には進めないと判断し、そこで引き返すことにしました。20分以上沢登りしたのに、なぜ違う滝が行く手を阻むのか?私たちには理解できませんでした。

その後、谷を間違えた可能性なども検討し、さらに装備も整えて再挑戦しましたが、谷は間違っていないようですし、やはり同じところで先に進めず断念してしまいました。この再挑戦も失敗し、夏休みも終わってしまった私には、ただ回廊の滝への熱い思いが燃え上がったまま。そんな状態なのに、大学で勉強することしかできません。それは大変つらい日々でした。しかし、私には最後のチャンスがありました。それは、期末試験が終わったあとにやってくる祝日、敬老の日です。この日は唯一、大学の違う友人と予定が合わせることができた、まさに最後のチャンスでした。



二人の思いは一致していました:「何としてでもあのチェックストン滝を通過してやる」。それ以外に、回廊の滝に到達する方法がないということが分かっていました。沢登りでは、滝の通過における常套手段があります。それは高巻きという手法です。要するに、滝よりもちょっと手前から岸を高く登り、そのまま滝の上流まで移動して再び谷に下りるわけです。ここでそれが使えるかどうか。二回目のチャレンジでも岸で登れそうな所を探したのですが、めぼしいところが見つからなかったという経験があります。

しかし、連れの友人が「ここなら登れる」という場所をうまいこと見つけてくれました。両岸は基本的に切り立っているところばかりですが、少し高い位置で歩けそうな平坦な部分があったのです。そこまで登ってから、谷に落下しないように木の枝などを頼りにして滝に近づきます。高巻きというよりは中巻きといった感じ。滝が落ちるほぼ真横まで来たとき、この行程の中で最も危険な場面を迎えます。そこは、滝を越えたいのだけれど越えられない、登るにも登れない、下りるにも下りられないというどん詰まりの場所でした。そして、最終的にわれわれが選んだ道は、あえて滝を越えていこうというものでした。

越えられないといっても、一応は越えられるところではあったわけです。ただし、一つ間違えれば墜落という危険がありました。目の高さぐらいの鉄棒に乗るような動作を断崖絶壁でやるといえば一番わかりやすいでしょう。このときは荷物を友人に預け、身を軽くしてうまく成功しました。そのあと荷物を受け取り、次の友人もうまく取りついてきました。一番の難題だったチェックストン滝を私たちは通過したわけです。そして「一番問題は帰りだ」と考え直しました。同じ場所を、帰りはどう通過するのか・・・? すでに滝の向こう側に来てしまった私たちは、あえて考えないことにしました。

それから沢登りを続けるものの、回廊の滝はちっとも姿を現しません。谷に入ってから2時間、3時間と過ぎ、われわれの頭の中にも「やっぱり谷が違うんじゃないか」という考えがちらつきます。「明るいうちに帰った方がよいのでは」とか「遭難したらどうする」など、精神的にも追いつめられてきたため、私の提案でしばらく休憩することにしました。4時間が経過していました。

私としては今年最後のチャンスにかけていましたし、難関を通過してここまで来ているという点から見ても、ここで諦めてはもったいないと思いました。かといって、唯一の参考文献である「ぎふの名瀑名峡」には「沢登り20分」で滝に到達と書いてある。この相反する状況の中で、私は「あと30分進んでみて滝が現れなかったら諦める」ことに決めました。二度の失敗を経験として、心中「この本が間違っているに違いない」と信じる気持ちの方が大きかったからです。しかし無理をして遭難しては無意味。妥当な判断ではないかと思いました。

しかし、結果的には30分以上沢登りを続けました。理由は谷の右側から支流が現れたからです。この支流が出たことで、地形図での位置が把握でき、もう少し進むことに意味があると判断したからです。結局、休憩から1時間以上沢登りを続けた結果、ついに私たちは目的の滝を目にする瞬間を迎えました。それは間違いなく、私たちの前に存在していました。「回廊の滝」。「ついに到達したぞ!」心からの叫び声をあげました。そして、大きな溜息が漏れました。それはあらゆる事象を忘れる、今まで経験したことのない瞬間でもありました。あとにも先にも、これほど感動的な滝との出会いはないでしょう。そしてまぎれもなく、私の人生の中で最も感動した瞬間でした。



私は荷物を降ろして、しばらく感動の波に浸っていましたが、やがてカメラを取り出し写真を撮りまくりました。ともかくたくさん撮っておけば、うまく写っているのが何枚かできるはずだからです。もちろん、この滝ほどうまく撮らなければと思った滝はありませんから、失敗があってもいいように36枚フィルム2本分を費やしました。沢登りを始めてから、すでに6時間以上が経っていました。やはり「ぎふの名瀑名峡」の情報は間違っていた、そしてそれに惑わされず途中で諦めなくてよかった、そういう思いが胸の中に心地よく広がっていました。実際の時間では、2時ごろになっていたと思います。

思う存分滝を堪能したあと、私はどうしても「回廊の滝」の上部を見てみたくなってしまいました。つまり、滝を上から見てみたくなったわけです。そんなわけで滝の左側の斜面をぐんぐん登ってゆき、30分かけて最も高いところに到達すると、今度は滝の上流側へ向かって谷を下りていきました。灌木を頼りに斜面を下りて行く途中、私たちは思わぬ発見をします。なんと谷の前方に滝が現れたのです。すなわち、回廊の滝からほんの少し上流のところに、またも別の滝が落ちているのです。

この自然の作り上げた造形に私は再度感動し、自分はもう沢登りをやめられないだろうと実感しました。一応回廊の滝を上から見てきましたが、そのときは別の滝を見つけた感動の方が優ってしまったようです。その滝でも30分ほど滞在して、私たちにそろそろ帰りのことについて真面目に考えなければならないときがやってきました。ここまで来ておいて、どうやって帰るのか? 時間は午後3時を回っていました。



私は回廊の滝の上流の様子を見て、それまで切り立っていた両岸が割と緩やかになっていることに気づきました。灌木なども多く、それらを頼りにすれば登っていくことは可能ではないかと思ったのです。このとき、同じルートで戻ろうなどという考えはまったくありませんでした。行きよりも危険が大きいことは明らかだったからです。前に進みつつ、帰還ルートを見いだすしかないと思いました。

地形図には林道の位置が載っているので、それになるべく近づけるルートを選ぶ必要がありました。自分たちのいる位置の見当をつけて、どの方向に登ればどこに出るか、しばらくは試行錯誤の繰り返しです。そして午後4時近くになった頃、私たちは谷から岸を這い上がり、山に向かって登り始めました。

私が地形図で見たところ、林道は近くにはありませんでした。しかし、山を登り詰めて尾根沿いに進めば林道に行きつく可能性がありました。少し遠いですが、延長途中と思われる林道が載っていたからです。一種の賭けでしたが、私にはそうする以外にまともな方法が見つかりませんでした。谷から離れ、気温も上がり、しばらく気の遠くなるような山登りが続きました。1時間が過ぎた頃、山頂近くに多いという笹薮が現れます。私たちは必死で笹にしがみつき、ひたすら上へ上へと登っていきました。そして「空が近づいてきた、もうすぐだ」と思ったとき、ふと植生の消えるところに這い上がりました。何とそれは、まぎれもない「林道」の上だったのです。

何と都合のいいことでしょうか、延長中の林道はすでに完成して私たちの目の前まで来ていたのです。まるでわれわれのために作られたものように感動的な瞬間でした。このとき、私たちは抱えていたすべての不安から解放されました。林道をたどれば必ず元の場所に戻れる。大自然との闘いが、このとき終わったのだと確信しました。しかし、それもまだまだ甘い考えだということは、このとき知る由もありませんでした。



時間はちょうど5時頃になっていたと思います。初秋の空はまだ明るかったのですが、あと1時間ぐらいで日が落ちることはだいたい分かっていました。感動に浸って休んでいる場合ではありません。私たちは林道の延びている方向へ急ぐことにしました。ところが、谷から林道に登るまでの間に私が感じていた足の痛みはピークに達していました。両足とも三カ所にマメができており、それがつぶれていたのでした。

私はびっこを引きながら歩かなければなりませんでした。普通に歩くスピードの1/3ぐらいの速さだったでしょう。友人の足は問題なかったので、彼は日没を恐れて林道を走っていきました。何回かは私を待っていてくれましたが、やがて彼の姿は私の前から消えていきました。まあ当然といえば当然でした。私たちは照明と呼べるものを何一つ持ってこなかったからです。真っ暗になったらどうしよう、そんなどうしようもない対策を考えても仕方ないと私は思いました。今日だけ例外なんて事はあり得ない。そのときは必ずやってくるのです。

かくして日没はやって来ました。あたりは真っ暗になりました。こんなとき、みなさんは暗くても目が慣れればだいたい見えてくるだろうとお思いになるかも知れません。私もそう思っていました。しかし、それはある条件が必要だということをそのとき初めて知ることになります。何でもいいから光源がないといけないということです。つまり、目が慣れてきて見えるものというのは、ある光がそのものに反射するからこそ見えているのです。

しばらくのうちは目が慣れるのに時間がかかりましたが、目が慣れてくると月の明かりでぼんやり林道を見ることができました。自分の歩いている林道さえ見失わなければ、やがてゴールに連れていってくれる。しかし、日没から2時間が過ぎた頃、私には林道がほとんど見えなくなっていました。それは、林道に月の光がまったく届いていなかったためでした。

もともと林道は山の斜面を削って造ってあるわけですから、木が茂っているところで林道を造れば、林道の上に木が張りだした状態になります。とくに標高が下がってくると、そのような場所がほとんどという状態です。私は、数時間の間、そんな真っ暗な林道を歩くことになりました。避けなければならないのは、林道からはずれて谷側に落下してしまうことです。林道の端を確認し、谷の方にはなるべく近づかないで歩いていく必要がありました。

私の目は疲労の限界の中で、わずかな光も逃すまいと頑張ってました。そんなとき、私の耳にチョロチョロと水の流れる音が聞こえました。林道を歩き始めて4時間以上が経っていましたが、私はその間まともに水分をとっていないことに気づきました。気温が低いとはいえ、体の水分はかなり減っていたと思います。私はその音に誘われるように林道の端に近づいていきました。何も見えませんが、音がしているあたりで手を伸ばしてみると水が流れているようでした。どんな水かは確認できませんでしたが、ともかくすくって何度も飲み干しました。水が体の中に浸透していくのが鮮明に感じられました。

途中、何度も腰を下ろして休憩をとりました。そこで考えることは、「彼(友人)は大丈夫だろうか」ということと「ここで寝て夜明けまで待った方がいいのではないか」ということでした。友人はこのあたりの地形について詳しいとは言えません。私は地形図を何度も見ていたので、遅いながらも順調に下山していました。先に行ってしまった彼ですが、道に迷ってはいないかと心配になるのでした。また、体の疲労はピークに達しており、休憩しながらうとうとしてしまうことが何度もありました。ここで寝てしまえばどんなに楽だろう、そして明日の朝帰ればいいじゃないか、そんなことばかり考えてしまうのです。時間はもう10時を過ぎていました。今日中に帰れるのだろうか? そんな不安が私を苦しめました。

しかし、私は寝てしまってはいけないと自分に言い聞かせ続けることができました。それは、先に行ってしまった友人がもう車に到着して、一人私を待っているかも知れないというプレッシャーがあったからです(車のカギは私が持っていた)。中には、私をおいて一人で行ってしまった彼のことを中傷したくなる人も多いと思いますが、ある意味、彼が先に行ってくれなかったら私はこれほど歩くことはできなかった、これはまぎれもない事実だと思います。一緒にいたら、甘い考えがどんどん浮かんでいたに違いないでしょう。寝ている間に雨が降ってきたらどうする? そんなことすら思いつかなかったそのときの私にとって、彼のとった行動は私に「自分自身との戦い」を与えてくれる(結果オーライとはいえ)ベストな行動だったと思います。

そんなとき、ついに見慣れた光景がやってきました。といってもほとんど見えないのですが、私たちが谷に下りる前に歩いていた林道、それに間違いありませんでした。長かった林道も、ようやく先が見えてきたわけです。このときこそ、私が本当に不安から解放された瞬間でした。もうここからは休みなしで林道のゲートまで歩いていきました。30分後、ついに車に到着! 時間は午後11時半を回っていました。 そして、そこに友人はいませんでした。



とにかく荷物を降ろし、車のエンジンをかけ、ライトをつけて彼を待つことにしました。時間的には彼の方が先についているはずですから、どこかで道を間違えたということになります。途中、3カ所分かれ道がありましたから、彼はそこで別の道に入ってしまったのでしょう。しかし、そのときの私には彼を探しに行くだけの気力と体力は残されていませんでした。

15分後、ライトの中に人影が現れました。それはもちろん、彼でした。話を聞くと、やはり別の道に入ってしまったらしく、そのまま別の山に登り詰めてしまったそうです。そのあとだというのに、彼にはまだ余力が残っているみたい「なんてヤツだ」(笑)。ある意味、彼でなければ自力で帰ってこれなかったかもしれない。パートナーに彼を選んでおいてよかったと実感したのでした。

結局、午後5時から11時半までの6時間以上、林道を歩いたことになります。びっこを引きながらとはいえ、かなり長い道のりだったことは間違いありません。なにより真っ暗だったのが恐ろしい。もうこんな経験は二度とできないでしょう(あえてやろうというのはタダのバカです)。回廊の滝を見るために、これほど多大な苦労を必要とするなんて誰が予想したでしょうか。もちろん、この「回廊の滝探訪」が、私の人生で最も危険でスリリングな冒険行だったことは、いうまでもありませんね。



私が岐阜の滝を本格的に巡るきっかけになったことは、だいたいこんなところです。しかし、冷静に振り返ってみれば、今の私とこのときの私では大きく異なる部分があります。当時の私は、心に何か満たされないものがあって、何でもいいからそこにあてはめる対象を探していました。そして、たまたまそこに「滝巡り」というものがうまいことはまってしまった、ひょっとしたら「滝巡り」より先に何があてはまってもおかしくなかったかも知れません。そういう意味で、純粋に滝に惚れ込んで滝巡りを始めたのとは違うのだと思っています(でもきっかけとしては重要でした)。そして、私が「岐阜の滝巡り」を始める上で決定的だったともいえるのが「全日本瀑布連盟」(以下、全瀑連)との出会いでした。



私は名古屋の下宿に戻り、テスト明けの秋休み(10月の第1週)には滝巡りはしませんでした。回廊の滝探訪は、しばらく何もしなくていいほどインパクトが大きかったからです。しばらくは、人工物に囲まれた安全な世界でゆとりのある生活をしたかったのでしょう。代わりに、持っていたパソコンでインターネットを始める準備をしていました。これも、たまたまパソコンショップでモデムを見て衝動買いしたもので、偶然といえば偶然のなりゆきでした。それが全瀑連との出会いを仲介するなどとは知る由もなく・・・。

インターネットを始めて、すぐに全瀑連を知ったわけではありません(しかも、そのときはまだ全瀑連ができあがっていませんでした)。1ヶ月ほど経ってから、ふと「滝」の情報を掲載したホームページがあるのかなあと検索してみることにしました。そして見つけたのが、現全瀑連の代表を務めるおおにしさんのホームページでした。そこには全国の様々な滝の情報とその写真が掲載されている、予想もしなかった情報量のページでした。

私はさっそく、おおにしさんにホームページの感想を書いたメールを送りました。そして、帰ってきた返事のメールには、インターネット上には他にも滝巡りをしている仲間がいること、現在その仲間たちを誘って「全瀑連」なる団体を結成しようとしていること、などが紹介されていました。その後、私はおおにしさんに教えてもらった滝仲間の集う掲示板にアクセスし、回廊の滝探訪についての記事を投稿しました。

そのすぐあとの、みなさんの反応は大変好感の持てるものでした。そして、自分の体験に共感してもらえる仲間ができたようで、私は迷わず全瀑連のメンバーに名を連ねることに決めたのです。そして、メンバーの中には「回廊の滝」どころか、「岐阜県小坂町の滝」について非常に詳しい情報をお持ちの方がいました。その方によると、岐阜県小坂町は自称「日本一滝が多い町」ということで、未知の渓谷を自ら探査し合計130以上に登る滝を紹介した写真集「小坂の瀧」(小坂町教育委員会)を出版しているとのことでした。

私はこの情報に大変驚き、「それならあれだけ難易度1の滝を紹介してあったのも納得ができる」と思いました。もともと各地から募集した滝ですから、小坂町からは秘境にあるものも含めた、実に数多くの滝が推薦されたはずです。「そうだったのか・・・」私はまた一つ全瀑連から離れられなくなってしまいました。そしてぜひその写真集を手に入れたい。私は滝巡りの世界に再び引きずり込まれていくのを感じたのです。



私は全瀑連の中部地区統括部長に任命されました。それは今までにない、所属欲というものが満たされたような不思議な気分でした。そして、「私が全瀑連のメンバーとしてやるべき事は何なのか?」いや、「私が全瀑連のメンバーとして誇りを持ってできることは何なのか?」そう考えたとき、私が出した答は「岐阜の滝を巡ってその探訪レポートを発信すること」でした。こうして、私の虚無感から始まった「滝巡り」は、初めて目的を持った意義のあるものへと変化していったのです。

現在のホームページを見ても分かるとおり、それ以来私は岐阜の滝を踏破することを目的(夢といってもいいかも知れません)に活動を続けています。そして、岐阜の滝を次々に踏破し、それに関するレポートを発信し続けているところです。最近は全瀑連のメンバーの影響もあって、以前よりも写真に凝るようになってきました。しかし、あまり写真ばかりに執着することなく、純粋に滝を見つめる目を失わないようにしていこうと思います。



私は全瀑連との出会いがなかったら、ここにホームページを持つこともなかったでしょうし、ひょっとしたら滝巡りすらしていないかもしれません。私が滝巡りをするようになるまでのいきさつの中で、次のどの一つがかけても、今のようにはなっていなかったはずです。

 01 … 名古屋に下宿していたこと
 02 … 車を持っていた下宿友達がいたこと
 03 … 夜のドライブの行き先が岐阜県飛騨地方になったこと
 04 … ドライブの帰りが長良川沿いになって、そこで休憩したこと
 05 … 長良川鉄道が走っていたこと
 06 … 岐阜県が「ぎふの名瀑名峡」を出版していたこと
 07 … 小坂町が滝の写真集を出していたこと
 08 … パソコンを持っていたこと
 09 … インターネットを始めたこと
 10 … 全瀑連がちょうど設立しそうだったこと

私はこれを考えるたび、私が滝巡りを始めることはいかに偶然的だったかを思い知るのです。




一方で、全瀑連のメンバーもどんどん増えてゆき(特に西日本)、最近では月に一度のペースでツアーが組まれるようになりました。私はそれに積極的に参加して、他県の滝もちょくちょく見に行っています。普段は岐阜の滝を単独で巡っているのですが、一カ所に集中するだけでは(滝に対する)視野も狭まってしまう気がするからです。また、仲間と一緒に行く楽しい雰囲気の滝巡りもたまにはいいものです。だから、月に一度くらいは他のメンバーとの情報交換もかねて、各地の滝を巡るツアーに参加しています。



最後に。今このときも、人の目に触れないところで「秘境の滝」が水しぶきを立てていると思うと、そこを訪れたくなってしまう気持ち、お分かりいただけますでしょうか。私はそれを実行しているだけなのです。

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