2000年8月7日、全日本瀑布連盟はそのサイトを閉鎖しました。私が滝巡りを本格化させる上でなくてはならない存在だった全日本瀑布連盟。全瀑連という略称で親しまれてきた団体が、たとえ消えてしまったとしてもその歴史までみすみす消してしまうことは私にはできません。このホームページがあるのも、そしてこれほど岐阜の滝に執着することができたのも、全瀑連の存在なくしては語れないのです。私の運命を滝巡りへと方向付けた全瀑盟の歴史をここに残しておきたいと思います。
旧全瀑連の歴史
1997/05/24 日本一の滝データ量を誇る大西氏のウェブサイトの掲示板 Notice Board がスタートする。のちに全瀑連の公式掲示板を兼ねることとなった。
1997/09/11 "「全瀑連」はジョークでした" こんなタイトルの記事が全瀑連の名付け親である澤枕瀑氏(現在彩志会代表)によって Notice Board に投稿される。これこそが全瀑連の始まりだったといっても過言ではない。"「全日本瀑布連盟」は、ほんのジョークのつもりだったんです。す、すみません!それでは、この際ですから、本当に「全瀑連」を結成しましょうか。私が事務局をやりますから「おおにし代表」ということで。"
1997/10/23 "全瀑連の件はどうなっていますか〜〜〜????" Notice Board に書き込むメンバーが増えてきたこともあり、澤枕瀑氏のこの投稿をきっかけに全瀑連設立へ向けた水面下の動きが表面に現れた。間もなくして全瀑連のバナーが完成、全瀑連定款の作成、発起メンバーの募集などが行われていった。
1997/11/29 瀑岐の全瀑連デビュー。"岐阜の隠れ滝" なるタイトルで Notice Board に初めて投稿した。このときはHNを使わず本名で書き込んだため、当時のメンバーは私のことを「伊藤ちゃん」と呼ぶ。このとき全瀑連はまだ設立準備段階であった。
1997/12/01 瀑岐が正式に全瀑連への参加表明をする。発足前なので発起人に名を連ねることになった。同日中に役職と称号も決定。役職はメンバーからの推薦もあって中部総括支部長(のちに中部地区統括部長へ名称変更)・愛知西地区支部長(のちに愛知西支部長へ名称変更)、また大学の専攻が数学ということで数学情報処理センター長、死への恐怖を体験した冒険行・回廊の滝探訪が尾を引いて中部隠れ滝散策会座長を勝手に作り上げる。称号は深く考えることもなく「瀑岐」とし「岐阜が好きだから」などという浅すぎる理由を付けておいた(笑)。当時あった称号の中では自分以外考えつかないということで勝手に自負していた(^_^;)。
1997/12/02 澤枕瀑氏より、小坂町が発刊する町内のすべての滝を探訪・記録した写真集「小坂の瀧」の存在を知らされる。このときほど全瀑連に参加してよかったと思ったことはない。
1997/12/06 全瀑連のページが正式公開される。
1997/12/08 午後0時、代表の大西氏により全日本瀑布連盟の設立が宣言される。全瀑連の創立記念日。
1999/12/10 全日本瀑布連盟設立記念祝賀会(池袋の養老乃瀧にて)
1997/12/15 澤枕瀑氏より「滝に関する文献リスト」が送付される。全国の滝の本が存在していることに驚き、そして「これだけ多くの本でも紹介し尽くされないほど日本には膨大な数の滝がある」ということを知った。日本に広がる滝の世界をかなり甘くみていたことを実感し、自分の心のなかで「もっともっとたくさんの秘境の滝を訪れたい」という気持ちがどんどん大きくなっていった。そして自分も他のメンバーに負けないよう、みんなが行ったことのないような滝を目指して頑張ろうと心に誓い、以後このパワーが私の背中を滝巡りへと押し続けている。
1998/01/01 国際部長 Kazu さんによる全瀑連の英語版サイト Japan Waterfalls Federation (JWF) が公開される。役職・称号も見事に訳されており、"瀑岐"は "Waterfall Gifu-an" と英訳された。後にこの表現がホームページタイトルとして使用されることになった。
1998/01/07 初めて海外から Notice Board へ書き込みがなされる。投稿者の Scott A. Ensminger (HN : Falzguy) 氏は後に JWF Special MeMber として役員名簿に名を連ねることになった。
1998/04/05 全瀑連西日本初のツアー、第一回西日本月例会が開催 (三重)。他県のメンバー(とんかつ氏、やまや氏)と初めて顔を合わせた。インターネットを通じて知り合った人と実際に会うのも初体験であった。
1998/04/26 初めて作ったホームページ " Waterfall Gifu-an's Home Page " を公開。思い返せば「よくもまあこんなやつを公開できたな」という非道い出来のホームページだった(^_^;)。
1998/06/11 第一回全瀑連総会(品川の養老乃瀧にて)
1998/07/10 「滝ゆけば」(永瀬嘉平・舞字社)が発刊される。この本に挟みこまれている「舞字抄通信 特集:滝に魅せられた男達」という読者通信に、全瀑連代表大西氏による「インターネット上の滝」と題した文章が掲載された。「全日本瀑布連盟」という名称が活字になったのはおそらくこれが初めてであろう。のちにこの本を見て全瀑連に加盟したメンバーもいる(オトマッキー氏、YM氏など)ことからもその意義は大きい。
1998/07/13 MacFan Internet 8月号に全瀑連のホームページが紹介される。
1998/09/12 NHK BS1にて放送されたナイアガラの滝特集番組で、JWF Special Member である Falzguy 氏がゲスト出演した。全瀑連メンバーがテレビに出演したのはこれが初めてとなった。
1998/11/04 京都新聞朝刊の「マウス to マウスinternet」というコーナーで全瀑連のホームページが紹介される(カラー)。新聞に掲載されたのはこのときが初めて。
1998/11/08 西日本では2回目のツアーとなる大杉谷ツアーが開催 (三重)。大西代表と初めて顔を合わせるというのに、集合時間に1時間も遅れるという大失態をやらかしてしまった。
1998/11/29 西日本では3回目のツアーとなるシワガラの滝ツアーが開催 (兵庫)。三重のとんかつ氏、兵庫支部長の瀑眞氏、九州地区の naomii 氏、四国地区の kuro 氏、そして中部地区の私と、西日本でも実に遠いメンバー同志が会した。また、この前日初めてメンバー(とんかつ氏)の家に泊めていただいた。
1998/12/14 滝歴では誰も敵わないオトマッキー氏加盟の歓迎会を兼ねて、西日本では4回目のツアーとなる西日本やっとこ会&西日本忘年会が開催 (滋賀)。
1999/01/20 澤枕瀑氏より全瀑連ステッカーが送付された。どう見ても手作りとは思えないその素晴らしい出来に感服した。しかし実際にステッカーとして活躍するのは半年以上あとのことだった(^_^;)。
1999/03/28 西日本では5回目のツアーとなる春の大歓送迎会が開催 (三重)。
1999/04/08 全瀑連メンバーの山谷氏と妙蔵が結婚。全瀑連が縁となった初めてのゴールインカップル。
1999/04/17 西日本滝行ツアー開催 (兵庫)。西日本では6回目のツアーにして初めて欠席した。
1999/05/03 ハードさでは全瀑連でもトップクラスであった御来光の滝探訪ツアー開催 (愛媛)。岐阜〜愛媛を往復しながら御来光の滝しか行かなかった大バカ滝行をやらかす(^_^;)。
1999/05/09 京都小瀑ツアー開催 (京都)。
1999/06/05 ぽた氏と岐阜ダイハードツアー決行。全瀑連メンバーと岐阜県内の滝巡りをしたのはこれが初。
1999/06/20 西日本7回目のツアーである南紀ツアー開催 (和歌山・三重)。
1999/07/18 西日本8回目のツアーである八淵の滝検証ツアー開催 (滋賀)。総勢12人が参加する史上最多のツアーとなった。これほどの人数が集まったからには何か起こると思っていたが、被害者は他でもない自分自身だった(^_^;)。カメラが三脚ごと滝壺に落下したのである。三脚だけでも救い上げようとひとり滝壺に潜って回収した。こんなことは初めてだった (あたり前だ^_^;)。
1999/07/25 とんかつ氏より EOS 55 を格安にて(^_^;)譲り受ける。
1999/08/14 西日本9回目のツアーであるシワガラの滝ツアー開催 (兵庫)。
1999/08/21
1999/08/22
西日本10回目のツアーである滝畑四十八滝ツアー開催 (三重・大阪)。
1999/09/18 日光雲龍瀑遠征開催 (栃木)。東日本の遠征に初参加し、全瀑連東日本の地元メンバーたちと初顔合わせする。
1999/09/27 読売新聞(関西版)夕刊の「インターネット探訪」のコーナーにて、全瀑連の大西代表と瀑岐のホームページが紹介された。ヨミウリ・オンラインの「インターネット探訪」でも見ることができる。
1999/10/17 西日本11回目のツアーであるパノラマの滝探訪ツアー (岐阜)。沢登りツアーを初めて実現させた。
1999/11/06 2度目の東日本遠征。五色の滝を目指すドンドコ沢遠征開催。 (山梨)
1999/11/20
1999/11/21
西日本12回目のツアーである第2回シワガラの滝ツアー開催 (大阪・兵庫)。
1999/11/27 西日本13回目のツアーであるブドウ滝検証ツアー開催 (京都)。
1999/12/12 西日本14回目のツアーである東海滝ツアー開催 (岐阜)。
1999/12/16 全瀑連西日本忘年会開催 (大阪)。西日本では初めての飲み会だけのツアー(笑)。
2000/01/07
2000/01/08
2000/01/09
西日本15回目のツアーである全瀑連北陸地区新年会開催 (石川・福井)
2000/02/12 西日本16回目のツアーである根尾滝雪化粧探訪ツアー開催 (岐阜)。
2000/02/17 中部お好み亭オフ (名古屋)。中部地区では初めて滝なしのオフ会。
2000/03/19 西日本17回目のツアーであるおっちゃんと遊ぶツアー開催 (滋賀・京都)
2000/04/29 千尋滝踏破。この夜、大西代表が病気となるアクシデントが発生。GWの大杉谷ツアーは断念することになった。
2000/04/30 西日本18回目のツアーである蓑谷三滝ツアー開催 (岐阜)。これが龍門の滝の代替ツアー。
2000/05/04
2000/05/05
西日本19回目のツアーである大杉谷ツアー開催 (三重)。
2000/05/31 第2回中部お好み亭オフ (名古屋)。内々定のお祝い。
2000/06/17
2000/06/18
西日本20回目のツアーである鳥取若桜の滝ツアー開催 (福井・京都・兵庫)。別名ヒルツアーとして歴史に名を刻んだ伝説のツアー(笑)。
2000/06/05 全瀑連事務局長の澤枕瀑氏が退会宣言する。
2000/06/30
2000/07/01
2000/07/02
3度目の東日本遠征。2日目はツアー初のバンガロー泊となった日光ツアー開催 (静岡・栃木・群馬)。
2000/07/14 西日本21回目のツアーである第2回北陸ツアー開催 (岐阜・石川・福井)。
2000/08/07 全瀑連・Notice Board を含めた大西代表の全ページが無言の閉鎖。
2000/08/12 Notice Board の役割を引き継ぐ新規掲示板を作成するための対策用掲示板が立ち上がる。
2000/08/13 Notice Board の運営が再開される。
2000/08/26 新たな掲示板の暫定運営が開始される。それに伴って対策用掲示板は消去。Notice Board が機能を停止する (READ ONLY)。またこの日、全瀑連で企画された最後のツアー・西日本22回目のツアーである奈良ツアーが開催された。
2000/09/20 新規掲示板の名称が投票により「滝の掲示板」に決定する。
2000/09/30 Notice Board 閉鎖。
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